学校と言う言葉を聞くとどんなイメージを思い浮かべるだろうか。
楽しいところ、いやなところ、大変なところ、ワクワクするところ、人によってイメージはいろいろあるだろう。
そして「学校は勉強しに行くところだ」というのが、勉強が好きか嫌いかは別として、全員の共通認識であり、学校の定義であることに異論は少ない。
しかし、筆者はちょっと視点を変えて、学校の定義は「ワクワクするところだ」と言い換えるべきだと思っているし、実際自分の子供たちにもそう言っている。
そして学校に行く最大の目的は「好きなことを見つけるところだ」ともアドバイスしている。
(好きなことというのは、自分はもちろん、他人にも価値があることという前提条件も合わせて教えている)
勉強にワクワクするもよし、部活にワクワクするもよし、友達にワクワクするもよし、恋愛にワクワクするのもよし。
このワクワクすることというのは、そもそも学校も基本は学費を払って行くわけだから、チケットを買ってライブやフェスに行ったり、映画に行ったりすることと本質的には変わらない。
つまり、学校教育そのものがエンターテイメントであるといえるし、あるべきだと思っている。
昔は画一化された教育があり、本能よりも慣習に従わせることが重視され、ある意味、教育とはエンターテイメントとは対極にあるモノだったと思う。
尾崎豊の「卒業」という曲がヒットし、エレキギターは「不良」が持つ物だと言われた時代があったが、まさに教育がエンターテイメントとは対極にあった証拠でもあるだろう。
しかし、これだけインターネットが発達し、世界中がボーダレスになっていくと、今までの画一化された教育では、この広い世界で到底生き残ってはいけない。
ある国では行儀の悪いことが、その国では行儀のいいことである場合も結構あるからだ。
今やエレキギターをもって、大勢に指示されるアーティストは、高学歴な人が多いのも、それを裏付けていると言える。
そもそも人間というのは、本能的に生きること。つまり好きなことをして生きていくのが一番気持ちいいと感じるように設計されている。
一番幸せな人生は「好きなことをして、食べていける」ことであり、それは全員に与えられた平等な権利である。
であるならば、学校の意義というのは、子供たちをワクワクさせ、好きなことを見つけさせるという一点に尽きるのではないだろうか。
私たちが、名古屋で展開しているCODE FRIENDSの理念はまさにそこを掲げている。
HEROになって未来をつくろう
作りたいものを思い浮かべ、
それを夢中で作ることができ、「これ、いいね!」「すごいね!」「かっこいいね!」
と、人を感動させる人になる
CODE FRIENDSは1人でも多くのHEROを生み出す学校でありたい。
プログラミングを教える学校ではあるが、あくまでそれは手段であって、本質的にはワクワクするモノを作れる人を一人でも多く送り出したいと思っている
CODE FRIENDS 大関